書評~『なぜ人はカルトに惹かれるのか』~瓜生崇氏 著~

書評~仏教書~

kobaです。

二冊目です。
何が二冊目?かというと

リアル知人の書かれた著作を読んだのが二冊目です。

もう「知人」とか書くのが畏れ多いくらいヒットしてる本です。
先般書いたreviewの英月さんもそうでしたが↓

もう初めてお会いした時から、どんどん雲の上に上がっていかれる方々。

いや、真宗的には「雲の上」とか不適切か!?
まぁいずれにしてもリアルに面識のある方の本というのは色々と「あぁ、あの時の話ってこれか」みたいな要素もあって読みごたえがあります。

では以下、レビュー本編です。

基本データ

  • 著者…瓜生崇
  • 出版社…法蔵館
  • 価格…本体1600円+税
  • ページ数…214P
  • 初版…2020年5月10日

著者紹介

瓜生崇(うりうたかし
1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。大学在学中に浄土真宗親鸞会に入会、同講師部にて12年間の活動後、脱会。脱会後にIT企業や印刷会社のシステムエンジニアを経て、2011年から滋賀県東近江市の真宗大谷派玄照寺住職。脱会後はカルトの脱会支援活動に尽力するほか、大学や高校、寺院などでカルト問題啓発の為の講師をしている。大阪大学キャンパスライフ健康支援センター招へい教員。真宗大谷派青少幼年センタースタッフ。
※巻末より転記

本の概要

時は1993年まで遡り、瓜生氏が大学受験校の下見をしているときの様子から書かれています。
「昔のことはよく思い出す」とは言いますが、ホントにカルトへの勧誘の時の様子が克明に描かれています。
そして受験から入学、サークルでの活動から浄土真宗親鸞会での活動勧誘脱会、そして脱会後の事まで。余すことなくリアルに瓜生氏のありのままが書かれています。
そして本著の後半では脱会支援の現状から信者本人や家族への具体的な接し方、心構えまで書かれており、実際にカルトで悩んでいるご家族や信者本人にとっては非常に示唆に富んでいると思われます。
そして何より決して悩む・苦しむ人を偏見で傷つけないように、誰一人抜け落ちることの無いように、と細かい配慮がなされています。

<各章の概略>

  • はじめに
  • 第一章 私の入信と脱会体験
  • 第二章 なぜ人はカルトに惹かれるのか
  • 第三相 どうしたら脱会できるのか
  • あとがき
  • 参考文献
  • カルト問題の相談窓口

<本の仕様>
表紙には一枚の絵が印刷されており、夕焼けか朝焼けの薄明るい土手沿いの道を一台の自転車が走っています。そこにタイトル・著者名・出版社が記されています。
とても良い紙質の表紙で、持っていると心なしかシットリとした感触を覚えます。これは瓜生氏の心の中を触感で表しているのでしょうか。そのように意図されているのかもしれません。

作品の背景

瓜生氏は全国各地でカルト問題に関する法話や講演もされていますので、この本の内容を耳にした方もおられるかもしれません。私も「あ、瓜生さんからこの話聞いた」という箇所はありましたが、改めて文字としてじっくり読ませて頂くと、ほんの僅かではありますが瓜生氏が大切に伝えたいことの一旦を知ることができたような気がします。
あとがきによれば

人間はたとえ宗教的救済を得たとしても、等しく迷い続ける存在だと思います。同じ迷いの中に生きるものが、信者と一緒に迷いに帰っていくカルト・カウンセリングはできないものだろうか。そうやって十年以上考えてきたことを本にして世に問うことができました。

とあります。
迷ったものが一緒に迷いに帰っていく。
考えさせられます。
果たしてカルトに出会っていない人は迷っていないと言い切れるのだろうか。
その宗教を良く知りもしないで簡単にあざ笑って済ませていないか。
そんな「問い」がこの本の背景にはあるように思います。

この本のおすすめポイント

色々と書きたいことはあるのですが、まとまらないので付箋つけてマーカー引いた箇所を箇条書きで失礼します。

・『固まってしまった』
受験校の下見に来た瓜生氏に対してサークルの勧誘で声をかけてきた学生さんが「キミは何のために生きるの?」と訊ねた時、瓜生氏はこの『固まってしまった』そうです。
こういう質問をされた時、大抵の人は「なんだこの人」みたいな目で見るかもしれません。
かくいう私もそうです。もしキャンパスの前で同じ質問をされたらサッサとどっか行きます。

「そんなこと考えても仕方ないじゃないか」
「そんな分からんこと考えてるくらいだったら楽しい学生生活を送って就職して結婚して家庭を持って…」

という感覚を持つ人が多いのかもしれません。

彼らはただ、本当のことを聞きたかっただけだ。多くの人が見なかったことにして通り過ぎる人生の問題を、通り過ぎずに受け止めようとしてきた人たちである。

と瓜生氏が言われるように、カルトに傾倒していく人には「何のために生きるのか」という問題をスルー出来ずに、尋ね続けていく人がいる。
瓜生氏は法話の中でしばしば「シーシュポスの神話」というものを引用されます(内容はググってみて下さい)。

先般レビューを書いた中野信子氏も著書『超勉強力』の中で小学生の時に、この「シーシュポスの神話」に触れた瞬間、同じことを考えたそうです。
「人に使われる人生でいいのか」と。
その反面、「人に使われないと生きていけない」という直感もあり、悩まれたそうです。

「人生の意義」を問うという”真実”と、目を逸らさなければ生きるのが難しい”現実”との狭間で揺れる。「見つめ続け」過ぎると例えばこういうカルトのようなものに偏重し、「目を逸らし」過ぎるとキリギリスのような人生で終わる(アリとキリギリス)。
どちらが幸せなのかは分かりません。
お坊さん的には「真実に出遇えた人生こそホンモノだ」と言うべきなのでしょうけれど、正しさを求めるが故に、己の作り出した正しさに迷ってしまうものですよね。

・関連会社を持ち、信者らにタダ働きさせている
これは宗教法人が関連会社を所有することに大きなメリットがその背景にあるからではないでしょうか。
というのも、一般の会社よりも宗教法人運営の会社は法人税が大きく優遇されており、かつ本体である宗教団体に関連会社から寄付をすると確か20%くらいは損金算入できます(一般の会社の寄付は2%くらいだったかと)。
どのくらいタダ働きかは分かりませんが、もしホントにタダ働きした会社から本体に資金が流れたとすると非常に巧妙な節税対策です。
もっとも伝統宗教団体でもパワハラ問題とか労務問題は山積ではあるのですが汗

・親の眼に浮かんだ悲しみ
瓜生氏のところに脱会の相談に来られた年配の親御さんの眼には深い悲しみが浮かんでいたそうです。
実はウチのご門徒さんの中にも、息子さんが某新宗教団体に加入しているご家庭があります。全く仏さんには手を合わせない教えなので、そもそも仏間に一歩も立ち入らず、兄弟の通夜葬式にも出ませんでした。私も月に一回お参りに行くのですが、一度も姿を見たことがありません。おそらく避けられているのでしょう。
ただ、そこのお婆ちゃんは熱心な聞法者で、「何も望まないけどこのお内仏だけは気がかりだ」と常々言っておられます。
やはりその眼には深い悲しみの色が浮かんでいます。

・脱会には、コミュニケーションの回復
特定の宗教団体から脱退してほしいと家族が考えている場合に最初からその教団を悪と決めつけて批判資料を叩きつけることや、「あなたが心配」と無暗にこっちに引っ張ろうとするのは効果がないどころか逆効果ですらあるそうです。そして

「(賛成はできないけど)あなたを誤解したくないから聞きたい」という思いである。

として、大切なのはコミュニケーションの回復であると瓜生氏は書かれています。
こういう姿勢はカルトに限らず、あらゆる家族間の問題解決につながっていくような気がします。

最後に

後半部分の脱会支援の為の心構えや言葉のかけ方、接し方がとにかく具体的で引き込まれました。
そして脱会者の中にはまだ不安だったり迷っている人も多いから、とにかく傷に塩を塗るようなマネだけはやめてくれ、と。
これは瓜生氏本人の痛みであり、心の叫びだと感じました。

瓜生さんって誤解されやすいけど優しい人なんだな、というのが読了しての感想です。
何より本著の最後の一文にその優しさが表れています。

「その歩みが血となり肉となり人生を輝かせるときがきっとくる。それまで共に歩んでいこう」

 

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