こんちは。
kobaです。
この投稿を書いたきっかけになったのは、noteというSNSツール、まぁブログみたいなもんかな?にあったこの記事からです。
そもそも拡張家族という言葉、最近まで全く知りませんでした。
このciftというのは2017年に始まったものだそうです。平たく言うとシェアハウスのようでもあるのですが、どうもそれに留まらない的な感じもあったり。昔の長屋と同じ?集合住宅?それとも…?
で、色々調べようと思ったのですが、結果よく分かりませんでした(⌒-⌒; )
ただ、このnote記事の中の一文
『主体的に自らの暮らしから見出すあれこれを社会にひらいていこうという意志のあるひとたち』
という所でなんか、ちょっとだけ「こうかな?」という想像はつきました。
で、最近読んだ本に家族のあり方について書かれたものがあり、それを読んだ瞬間にこのCiftを思い出しました。
「すべての家族や組織は、ユニットから関係性へ変わっていく」という仮説を持っているの。たとえば、むかしは家族という形態がはっきりしていたのに、いまは親が離婚しても親としての関係や役割が途切れなく続いたり、親の新しい恋人との関係が生まれたりするよね。そんな重層的な関係がどんどんできていて、家族というものが閉じられた領域ではなく、とても開かれた場になってきている。そのため、むかしのように法律で一律にコントロールすることが、できにくくなっている現状があると思う。」
—『「超」勉強力』中野 信子, 山口 真由著
これは山口真由さんの『超勉強力』中の言葉です。
山口さんは日本とアメリカ両方の弁護士免許を取得されてる事から、家族と司法について本著の中で触れていました。
確かに家族のあり方って、昔と変わってきてます。
これは僧侶として現場でつくづく感じる事です。
お寺は檀家制度というモノの上に成り立っています。家族を一つのユニットとして集め、グループ化したものが「◯◯寺」です。
しかし、そのユニットの概念が崩れている。変わっている。
結婚しても家を継承しなくなった。
離婚しても家族と呼ばれている。
死別しても家族であり続ける。
だから家族がユニットでなく関係性へと変わっていくとすると、お寺も無関係ではなくなってくるのですが、まぁそれは本題とズレるので省略しときます。
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戻ります、本題。
家族が血を元にしたユニットから関係性へと変化していく事には
「イイじゃん!」と「どーなるだろ?」ポイントがあるように感じました。
イイじゃん!ポイントとしては。
「共に生きたい暮らしたい」人と暮らせる事。その多様性と受け皿の大きさ心地よさは子育てにも大きく関係してくると思います。
「共に暮らす」ことで、我が子でなくても我が子になり得るし、他人という親・兄弟ができる。
自分もそうだし、配偶者や子供にとっても人格形成に大きく寄与してくるはずです。
あ、自宅で仕事してる感じを見ることで子供にとっては将来の職業選択にも大きな影響あるかもですね。
どーなるだろ?ポイントは…
基本的に日本のあらゆる法律においては血縁が基本ベースで考えられてる、ということ。
配偶者・実子でないと控除が受けられないし、相続にしたって内縁は基本的に相続出来ない。
独身の兄弟が亡くなったりすると、全血と半血で相続分が半分になる、とか。
それでいて、国保は内縁が認められている。不思議だけど、
こういう税や相続の事についてはFP試験で学んだ時に知りました。
※FP3級の体験記↓
こう考えると、日本が遅れてるのかそうでないかは私には分かりません。
ただ一つ言えることは、法や税を変えていこうと思えば
変えられる立場になるしかない。
政治家になるか
官僚になるか
そして、変えるときには必ず反対の意見も出てくるし、片方だけの主張を受け入れてると拗れてくる。
そして変化を望む人がいれば、変化を望まない人もいる。
自分は今、両親と同居して妻子がいるという、いわゆる昔ながらのユニット家族として生きているので、この形以外は想像つきません。
でも家族のあり方は、社会を反映して必ず変化していきます。
言い換えれば、家族の形っていうのは社会の多くがそれを求めた結晶である。今はまだ日本では「従来型の」家族が基本とされているけど。
これからどう変わっていくのか。
田舎の寺は、自他ともにユニット家族なのですが、これからどうなっていくのでしょう。
その意味では「Cift」というあり方からは目が離せません!
note記事はコチラ
https://note.com/koba74/n/n75ae31bf22d0
koba
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